メメント森の熊

新卒で県庁に入り、2年半公務員として働いた後、スタートアップ企業に転職してフルリモート勤務をしています。アクセサリーを作って販売もしています。ここは私のスケッチブック。

私にとって東大のオリ合宿とは何だったのか

 

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大学の授業で撮った写真!この授業ほんと楽しかった

なぜいまこの記事を書くか

東大を卒業してはや1年…今年の新入生は新型コロナウイルス感染症のせいで「オリ合宿」が中止になって、五月祭も延期になったそうだ。オリ合宿とはオリエンテーション合宿の略である。このイベントは、物事を説明するのが好きなわたしがぜひ書き起こしたいおもしろポイントが詰まったイベントで、いつかは記事にしようと思っていた。1年の時も2年の時もオリ合宿に参加した私にとっては、基本的には楽しかったイベントだが、よく考えると色々な語り口がある。

さて。まず第一は、面白かったから文章にしたくて書く。プラス、私は典型的な田舎の受験生で、とりあえずは東大に受かることを目標に生きていたので、受かってからどういうイベントがあるかなんて全く知らなかった。で、知らないことが多くて割と苦労した。この記事は当時の私みたいな、ウブな(?)新入生の人に読んでもらい、こんな感じのイベントがあるんだ~となんとなく心づもりをしてほしいからつらつらと書く。あくまでも個人の体験ベースだよ。

 

東大の「クラス」「同クラ」「上クラ」「下クラ」「孫クラ」

オリ合宿の説明をする前に、東大のクラス制度についてちょっと説明しなければいけない。東大に入ると、履修する第二外国語によって、約30人ずつの「クラス」に分けられる。たとえば私だったら「文Ⅰ・文Ⅱ中国語13組」、というふうに。同じクラスの人は「同(おな)クラ」、1学年上の同じクラスは「上クラ」、一個下は「下クラ」、さらに下は「孫クラ」と呼ぶ。要は第二外国語の授業があるときはそのメンバーで一緒に受ける、というだけなのだが、案外このクラスの結びつきが強い。どのクラスもだいたい五月祭くらいまで(つまり入学後約二か月)は、クラスでまとまって行動することが多い印象だ。語学だけと言いつつ結局授業は同じクラスの人がとっているものを取るのが安全だし、講義・食堂・図書館前の原っぱの席取り(席取りばっかり?笑)、テスト勉強、とにかく1年の秋くらいまでは、大学にいるときはだいたいクラスの人と一緒にいる、という感じだった。このクラスが親睦を深めるためのいちばん最初のイベントが、4月に入ってすぐ行われるオリ合宿なのだ。慣例的に、上クラが下クラ(当時の私たち)を引率する形で決行される。

 

まだ部屋も整わないうちに開催を知らされ翌日からもう合宿

当時の私の日記を見返して分かったが、4/2に荷物片づけを手伝ってくれていた母親が地元に帰ってひとり暮らしがスタート、4/3にサーオリ・プレオリと呼ばれる顔合わせ。このプレオリという、飲み会?で、初めて同クラ・上クラのメンバーと顔を合わせる。私のクラスは男子25人、女子5人だった。飲み会と言ってもちっちゃいテーブルが複数あって別れる感じなので全員と喋れるわけでもなく、そもそも1日で打ち解けられるわけもない。そして、なんと、翌日の4/4と4/5でもう山梨の湖のほとりへオリ合宿へ行っていた。超スピード展開である。たぶん3日の夜に上クラに、「明日オリ合宿で川口湖行くから!朝8時半に駒場東大前駅集合ね」など言われ、訳も分からず目を白黒させながら準備したんだろうな、私。もう覚えてないけどそうに決まっている。

 

「合宿」と聞き高校ジャージのみ持って参加したワシ

「朝8時半に駒場東大前駅前集合」。これが当時の私にはすでに難しかった。急行と各停の違いもよく分からず、本来ならばアパートから30分で駒場東大前まで着くところ、余裕をみて1時間半前に出発したのに、乗り換え失敗に失敗を重ねて着いたのは30分ギリギリだった。電車が貴ばれるのは定時性ゆえなのに、そんなことがあるだろうか。そして準備したものはと言えば、その時着ていた高校の全身緑色ジャージと、室内用の上履き、それだけだった。着替えはなし。だって一泊の「合宿」やもん。なんか…トレーニングとかして鍛えるんやろ?
驚異的勘違いにより、オリ合宿の写真を見ると、わたしは全てのシーンで全身緑色のジャージを着ている。だって初めから終わりまでそれしか着るものなかったんだもん…。他の女の子が普段着で駅に現れ、夜は寝巻きとかに着替えてるのを見て、「ア??合宿と聞いていたがそういう感じのゆるふわなイベントだったのか??」と後から確認していく感じになっていた。ていうかなんで他の女の子たちは知っているの?
※情報収集力の違いです
とはいえ、ずっと緑ジャージを着ていることについては特にツッコミは無かった。聞かないようにしてくれていたのかもしれない。

 

めいも~んコール

朝集合して予約したバスに乗り込み、○○湖へ向かう。ちなみにどのクラスもだいたい行き先は山梨県の湖のほとりだ。バスの中では、マイクを使って順番に自己紹介をする、よくある光景が広がっていた。私は前日のプレオリでちょっと仲良くなった女の子と隣に座っていた。その中で印象的だったのは「名門コール」。誰かが「□□高校出身です」と言うと、それに反応して「めいも~ん!」とみんなで叫ぶ、というやつ。本当の名門校にはあえて言わず、私みたいな地方の全然有名じゃない学校のときほうが大声で叫ばれる。それで分かったのは、噂には聞いていたけど本当に東京・中高一貫・男子校・女子校出身者が多い、ということだ。そもそもそういう人たちは出身を言うときに「東京」って言わない。いきなり「海城です」「豊島です」と、出身高校を言って、それで「あ~ね!」と通じ合っているのが新鮮だった。

 

性の仄暗いとこが詰まっている

私はなんとなく、東大は開かれたリベラルな?場所なのだと思っていた。みな向学心があり、ダイバーシティを尊重し、偏見が少なく、といった風に。今考えると根拠は全くなかったけれど。実際は全く違った。また、私はふだん、「男子校出身者は~」とか、「女子校は~」とか、そういう括りで物事を説明するのは嫌いだ。バカバカしいし幼稚に思えるからだ。でも、この東大に入りたての時期は、多くの人がこの枠組みで物事を解釈して捉えようとするし、当事者もそのステレオタイプに沿った行動をわざわざしているんじゃないかと思ってしまうような節があった。オリ合宿はそんな要素の目白押しだった。また、同質性の高い集団だからこそ成り立っていることがたくさんあった。

 

手がかすっただけで本気の謝罪をされたドッジボール

たしか1日目、合宿場に着いた後、体育館のようなところでドッジボールやらバスケットボールやらをして遊んだ。まあ、男子と女子が入り混じってこういうのをするのは、中学や高校でもやっていた。ドッジボールで男子は女子を狙わない、とか、女子を狙うときは利き手じゃないほうで投げる、とか、よくあるやつがまた行われているな~、という感じだった。しかし、ここで私にとって初めての体験が。何回めかの試合中に、同じチームの男の子…自己紹介では男子校出身で女子とは何年も喋っていない、と言っていた…の手が、私の腕?にかすったらしい。らしい、と書くのはわたしがそのことを全然覚えていないからだ。で、試合が終わって一息ついていたら、その男の子が神妙な顔で近づいてきて、
「○○さん、あの、腕、大丈夫?」
「えっ?腕?なんかあったっけ?」
「いや、当たっちゃって…怪我とかしてない?」
「…!してないよ大丈夫だよ…!???」
彼は本気で謝っていたんだろうか。それとも私をからかっていたのか、単に「そうしたほうが良い」とどこかに書いてあったことを実践したのか。今となっては分からない…留年して疎遠になってしまったので聞くすべもなし。ただ、共学で、人間男女問わず皆わりと丈夫である、なんなら顔にボールが激突してもそこまでのダメージを受けるものではない、と知っている私にとっては、覚えていないほどの弱さで手が掠っただけで怪我していないか心配される、というのは、なかなか忘れられない出来事だ。

 

伝説上の存在だと思っていた「女子と喋れない男子校出身者」

夜には、屋根のあるところでバーベキューをした。私のいたテーブルには、マジで女子とだけ喋れなくなる男の子がいた。彼はその後、学園祭でたびたび大活躍してクラスの人と仲良くなっていき、結局わたしや他の女の子とも友達として気さくに話せるようになったのだが、初期はほんとうにすごかった。自分が話しかけると黙ってしまうので、困った。ただ彼は、喋れないけど肉があらかた消えた後に焼きそばを作るのがめちゃくちゃ上手かった(なんの説明?)。
彼は極端な例だと思うけど、「人見知りだから」ではなくて「相手が女だから」という理由でものすごく緊張して普通にしゃべってくれない(んでしょ!と確信させる)人は結構いた。そして、それは女子のほうも同じなのだ。私に初期からなついてくれた同じクラスの女の子は、だいぶ時間が経つまで男子と喋ることにかなりの抵抗を感じているように見えた。

 

出会った翌日に素っ裸で風呂ですか

夜にはお風呂に入ったが、大きなお風呂に女子5人で一緒に入った。これ、わたしは結構嫌だった。大学での4年間、そして5人での卒業旅行まで乗り越えた今でこそこの4人の前でなら素っ裸になってもまったく差し支えないけれど、昨日出会ったばかりの人に裸を見せてお風呂に入るのは、結構嫌だったよ。でも、なんとなくその場の雰囲気と勢いで一緒に入った。たしかお湯につかりながら全身脱毛の話とかをした気がする。
違ったからよかったけど、その時生理だったら、どうしていただろう。たしか部屋にちいさいお風呂はついていなかった気がする。そして、もし、色々な理由で裸を見せるのが我慢できないほど嫌な人だったらどうしただろう。あの雰囲気の中で言い出せただろうか。考え出すと止まらない。
そしてそう思っていたのは私だけではなかったようだ。同クラ女子の一人は後日「出会って翌日にいきなりお風呂入るなんて本当にびっくりしたよ~」と言っていて、そうだよなぁと思った。

 

オリ合宿があって良かったこと

と、色々なもやもやはあったものの、オリ合宿があって良かったこともある。
一つ目は、履修登録について同じクラスの人とシラバスを見て話しながら決められたことだ。私は、評価する人によっては「想像を絶するレベルの情弱」らしいので、これはありがたかった。たぶん一人で履修を組んでいたら、まず履修の手引きが理解できないだろうし、授業の楽さやバランスなど全く考えずに興味のあるのばかり取って5留くらいしていたと思う。抜きどころを教えてくれて、また履修が完成した後もそれで大丈夫かチェックしてくれた友人達には頭があがらない。
二つ目は、やっぱりオリ合宿を通して、無理やりにでもクラスが仲良くなったことだ。クラスの仲の良さは、クラスによって全然違っていて、五月祭が終わると自然解散みたいになるクラスもあるし、卒業後のこんな時にもZoom飲み会が開催されるほど仲のいいうちみたいなクラスもある。私個人の大学生活がたのしく、また留年とかもしなかったのは、間違いなくクラスの仲が良くて、特に前半の2年間、たくさんの人に助けてもらったから、というのが大きな要因だ(もちろん他にもたくさんの大事なコミュニティがあるけど)。

 

でもやっぱり東大の良くないところがつまってる

わたしには大した思想がない。結局大学の4年間は、課題や、大学の中の選考など、女であることで相当な楽をしたと思う。そのことを分かっていて行動したこともたくさんある。楽ならば楽なほうがいいと思ってしまう性格だから、というのもある。偏った男女比という構造を利用するのは利己的に生きる人間としては正しいことなのかもしれない。でも、そんな環境で育った人たちが官僚とか、政治化とか、大企業の役員とか、影響力の大きいポジションに比較的つきやすいし、別にそんな偉い人にならなくたって、いつかは何らかの形で社会に放たれて意見をもってそれなりに生きていくのだ。そのことについてはよく考えないといけないんじゃないだろーか。私にとっては、オリ合宿は、もちろん良かったことも多かったけど、同時に窮屈さも感じた。

と、卒業してから、思い出して書いてみました。誰かの参考になればうれしいです。